良心は元カノの声をしていた

※ 2013年11月23日注
このエントリーは2013年5月13日のものですが、加筆修正を行い本日STORYS.jpにて同タイトル『良心は元カノの声をしていた』として公開しました

 

そもそもは渡辺淳一や海堂尊といった医師兼小説家を目標に、こういう仕事をはじめたはずなのに、もうしばらく小説なんてひと文字もかいていないし、そもそもさいきんは仕事をしていなかった。

 

医師を副業にすることへの職業倫理的批判など今のところお受けするべくもない。世間が評価するところの僕はフェミキチのインターネットくそライターだ。

それにしてもフェミキチとファミキチは似ている。

 

このままでいいはずもないので、ブログをはじめてみようと思う。

発想とその帰着点への矛盾にはこのさい目をつぶることにしたい。なにかをかきたいと自分から思ったこと自体、じつのところかなりひさしぶりだ。

 

まずは、どうしてものをかく仕事をはじめたのか。そういうはなしから。

 

いまでこそ、僕は自分くらいかけるひとが世間に掃いて捨てるほどいることを知っている。自虐ではなくシンプルな事実として。

 

インターネットに片足を突っこんでお仕事をすれば、文章のセンスがずば抜けて秀でたひとをいくらでも目の当たりにするし、比較の対象として自分の身のほどを知る機会は多い。

 

僕が大したことないライターであることは、それでも、僕がなにかをかかない理由にはならないと思うから、まだこれからもこの仕事にしがみついていきたいと思っている。

 

とはいえ、これは実際にこの世界に入ってからの感想だ。

自称フリーライターとしてあちこちに文章を書き散らし、それらをメジャーからマイナーまでたくさんの媒体に持ちこみ、ほとんどが無視され、また書き散らして持ちこむ先の見えないサイクルのなかで、

自分がなにをしたかったのかもよくわからなくなったころに、なんとかいくつかのお仕事を回してもらえるようになってから。

 

それまで、僕は自分に文章をかく才能があると思っていた。

小さいころから本を読むのが好きで、ちょっとした文章をかくのが得意だった。原稿用紙数枚の作文なら、褒められることも多かった。中学生くらいまで、将来の夢は小説家だった。

 

でも、根拠といえばそれくらいだった。

小説をかいたこともなかったし、かこうとしても続かず、それなのに自分の文章には自信を持ったまま、高校生の僕はいつのまにか医者になりたいと思うようになり、何年か浪人して医学部に入った。

 

さて、元カノさんだ。

 

狭き門をなんとかくぐり抜けて片田舎の医学部に入ったけれど、思っていたのとはなにか違った。

医者の子どもや地元の優等生がみんないけ好かなく思えて、他人を嫌うぶん他人に嫌われ、友だちもできずに本ばかり読んでは、医者じゃなくて小説家になりたいと思っていた。

 

でも、相変わらず小説をかいたりはしなかった。プロットをかこうとしては、何冊も新しいノートを無駄にした。

すばらしいアイディアがある、かこうとすればすぐかける、そう本気で信じていた。

 

そんなしょうもない僕にもしばらくして彼女ができる。

快活でまわりに人が集まるタイプの女の子で、そんな出会いにより僕も変わればよかったのだけれど、僕はむしろそのままでいることで彼女を手放さないようにした。

上手くいかないことはすべて自分以外の誰かのせいにして、自分は間違った場所にいるだけだと繰り返し口にした。それでも彼女は懸命に、「善く生きよう」としばしば僕に言った。

 

蔓の重みで少しずつ支柱が傾いていくアサガオの観察日記みたいに、危ういバランスを保ったまま何年かが経ったある日、彼女がキレた。

 

当時、講義をサボってはソファーでごろごろしながら本を読んでいて、それを彼女に注意されると、いつか小説家になっていい暮らしをさせてやる、みたいなことを恥ずかしげもなく言った。

いつもどおりのやりとりだったはずなのに、そのときだけ彼女は真剣な顔で、僕の横に立った。いつもどおり、あきれた顔で、ダメ人間と僕に言ってくれるのではなかった。

 

「かけばすごいっていうなら、かいてよ。かいて、読ませてよ。」

「かいてあるなら、いまここに持ってきてよ。ねえ、かいてるんでしょ、持ってきてよ。」

 

「そしたらわたしが読んでぜんぜん面白くないってちゃんと言ってあげるよ。」

「夢みたいなことばっかり言わないでよ。お願いだからもっとしっかりしてよ。」

 

「ほんとにすごいのがかけるなら、かいてよ。いま、かいてよ。読ませてよ。」

「ほんとだって信じたいよ。信じさせてよ。」

 

「わたしに、読ませてよ。」

 

号泣しながら、クッションで僕をぼすぼすと殴りつづける彼女を、てきとうに諌めるかなにかして、僕はその場をやりすごした。

彼女はおそらく本気だったろうに、当時数えきれないほどあった喧嘩のひとつとして、僕はすぐにこのことを忘れてしまった。

傷つくこともなかったし、彼女がなにに怒っているかもよくわからず、あまりの剣幕で泣きじゃくる彼女を前にして、ただ困っていた。

僕はまだ自分に文章をかく才能があると思っていたから。

 

それからしばらくして、彼女にはフラれてしまった。もう何年か前のはなしだ。

 

このやりとりを思い出したのは、彼女と別れて数ヶ月が経ったころ、ネットで中小の印刷会社が、企業紙向けのコラムニストを募集しているのを見つけたときだ。

はじめは気楽な気持ちだった。小説はハードルが高くても、短いコラムならなんとかなるだろうと。そこから経験した苦労とか挫折とかそういうはなしは、とくに説明の必要はないと思う。

 

やればできるというありきたりな虚勢さえ、それをはる相手がいなくなって、僕はひとりで、かく才能のない自分と向き合わなければならなくなった。

不採用の通知を受け取るたび、あるいは、応募が無視されるたびに、農薬でも飲んだみたいに内臓が焼けるような感じがした。

ずっと、医者にしかなれないやつらだと周囲を見下していたけれど、ふつうに医学の勉強をして、立派な医者になることのほうがよっぽどまっとうだと思い知った。そういうやりかたを選べない自分がみじめだった。

 

あの頃はいつも、彼女の「かいてよ」という声が聞こえていた。「読ませてよ」と言われているような気がした。なにが正解かもわからないまま、僕は黙々と履歴書と売りこみ用の記事をかきつづけた。

さらに半年くらいが経って、ようやく大手出版社のWEBコンテンツ部門に採用されたときには、もう彼女と連絡を取ることはできなかった。

終わったことが終わっていたことだと遅ればせながら身に染みた。恥ずかしくて、いたたまれずに、元カノさんの声は聞こえなくなった。

モチベーションは中途半端なまま、せめて得たものを手放さないように、なんとか今日までやってきた。

 

僕は現在、いくつかのサイトに所属して、主にネットニュースとして配信されるコラムをかいている。

ネットニュースの裏側では、出版・広告のプロが多数、電子化における生き残りを賭け、非常にタクティカルに業務を進行しているのだけれども、一般のひとがそれを詳しく知る必要はない。

肩の力を抜いて、気楽に楽しめばいいと思う。くだらない記事だと鼻で笑いながら。

 

さいきんになって、今さら、小説をかこうとしている。

やっと読ませたいひとができた、そんな単純な理由で。

 

僕にとって、かくというのは息をするようなものであればよかったのだけれど、必要なものを取りこむというよりは、どちらかというと、心の中に溜まった不必要なものを吐き出す行為に似ている。

溢れればひとを傷つけるし、溜めこめば僕が破裂する。呼吸も排泄も、ともに生きていくために必要なことであるはずなのに、この違いはなんだろう。どうしたって奇麗じゃない。

 

あれからほんとうにいろいろなことがあり、遅れていた精神発達が少しだけ進んで、気がつけば僕は医学部でもう高学年だ。自由にできる時間はそんなに多くない。

 

さいごに、納得がいくまでものをかきたい。そう思って、このブログをはじめることにした。

今後とも、お付き合いいただければ幸いです。

 

朽木誠一郎